昭和50年1月19日 特別奉修委員



 (途中から)違う、しかも、家の信者が、他所の教会の先生の話を涙流して聞いておると。だから、まぁいうなら、もやもやするという事でしょうね。けれども、人間の、人間的に言うなら、当然のことだと思うですね。当然と言うが、誰でもそんなんじゃなかろうかと思うんです。いよいよ、信心させて貰うてね、本当に、信心じよって豊かな心を頂かせて貰わなければいけない。かと言うて、ほんなら、今日、さっき、井上さんのお届けじゃないですかれども、ちょうど、一番バスが、自分一人だったと。それであの、合楽の金光様にお参りですかという事から、この頃、教会の前には、立派な時計がしてあるですねと。あれはあの、何時も、あそこの前で、私達も時計を合わせて、運転手さん達がね、行くんですよと。それでもうあの、こんな雪降りなんか、笠なっとん、どうかしてやらなきゃ、時計が可哀そうですねと言うて、まぁ言われたという話をね。優しい心の人だなとこう思うんです。そして、ここの前で、もう、ここで降りてくださいと言うてから、ここでおろして頂いたという事ですけれども。さぁ、その運転手さんが、優しかったとか、心掛けの良い人とかというだけではなくて、誰でも、そのくらいな心持は持ってるんだと思うんですよね。
かと言うと、ほんなら、金光様の先生でもなさるほどの人だから、より、美しゅうならにゃいかんとか、清めにゃならんとかという様な心を、何時も、日々、稽古しておるものじゃから、なおさらの事ですよね。そら、あるんでしょうけれども、ひとたび、そういう、そのカセット持って行って、皆さんに聞いて貰っておる人は、信者さんにも聞いて貰わんならんけれども、先生にも聞いて貰いたいと、そして、一段と信心を進めて貰いたいというのが、願いだったでしょうけれども。耳が痛いというて、ぴちっと切られたというね。こりゃ、おそらく、耳が痛かったのか、それは、どちらが本当か分からんけれども。まぁ、信者達、顔を見合わせてね、それを聞きよってね、悲しい事ねと言うて話したことでしたけれどね。人間は、そういう悲しい事ねといったような心が、誰にでもあるとですよ、やっぱり。それが、何時もやはり、人間関係やら、難しゅうなってくるところですから。もう、いよいよもって、今朝あたりの御理解のね、言うなら、自我をなくして行く。あれは、心頭滅却すればですかね、火の中もまた涼しという、それと、それはもう大変に難しい事のように、私共も、とても手の届かない。それは、火の中に飛び込まんなんと思うから、難しいのであって、実際はね、いうならば、人生のというか、日々、自分の心の中に、かっかする様な時には、心の中は火が燃えとるとですよ、言うならですね。その先生の、カセットをぷつっと切られたというのもです。おそらくは、心が燃えてきた訳です、よくない意味合いでね。ですから、そういう時に、言うならば、自我を滅却させて頂いておったら、もう本当に、信者が一生懸命に、有難く頂いておる。自分もまた有難く頂いておる。本当に、合楽の先生のおかげでという事になって。良かったね、今日の御理解はありがたかったねとこう言える雰囲気が、その教会に生れたら、素晴らしい事だろうと思うんだけれどもね。結局、自我の滅却が出来てないからです。分からんのです。本当に、それがおかげという事が分からん。難儀な、それを腹の立つ問題にしてしまっておる。だから、どうでも一つ、おかげを頂かせて貰うて。そら人間、誰しも、そういうふうな本能的に、そういう心があるんですけれども。信心は、それを滅却して行く、本気での稽古なんですからね。一つ、お互いの心の中には、何時も申します様に。鬼と仏が同居しておると言うが、私共の、自我を無くするという事は、一切を、自分の心の中の、空しいというか、空しくするという、そういう事だと思う。その空しくしておる心に有難いものだけが入ってくるというようなね。
昨日、佐田さんところのご兄弟が、神戸の方へ行っておられて、毎月、月参りをされる。もうそれこそ、今までは、大変、調子よく、大きな工場をなさっておられたんだけれども。こういう不況のあれで、どうにもこうにも出来なくなって、それで、佐田さんところに、いわば、泣きついて見えてから。とにかく、そういう問題があるならば、とにかく一遍、こちらへお出でと。私達が信心で、おかげを頂いておる、その事を聞いても貰いたいし、話も、その時聞くから、とにかく出てお出でと言うて、年末の忙しいのに出て見えられた。そして、もうとにかく、初めて聞く御教えを頂いて、それこそ、帰り、自動車で見えておりましたが、ご夫婦で。もうとにかく、こげな有難いことはなかったと言うて、まぁあわよくば、今日は久留米の方へ行って、金のちっとでん、稼いで貰おうかという願いもあったんでしょうけれども。そんな事言う段じゃない。また、片一方も、それを言われる段じゃない様なことでね、帰られて、非常に感動して、おかげを頂いて。そしたらもう、不思議な不思議なおかげを頂いておられる。もう本当に、不思議と言わにゃおられないほどしのおかげを頂いておられる。そして、おかげで正月は越せたけれども、正月から、今日までの間の不如意な事を、お届けが、ずっとあっておりましたが。毎月、月参りを、ここの婦人会の日に参ってこられる事になって、十五日の日ですかに、神戸から月参りをしてくるち言う。やっぱ、そのくらいな意欲がね、気持ちが、信心にゃ、なからにゃ出来んですけれども。それとても、ほんなら、とてもとてもです、どうやらこうやら、金の貸し手もあるとか、どうか、車が舞いよるなら、絶対、参っちゃきませんよ。してみるとですたい、その事はおかげでしょうが。これから、どういうおかげを受けられるか分からない。
二三日前も、ここへ五十万の金が、どうでもなからなきゃ出来ない。どうしても出来ない。だから、夫婦で、一生懸命、こちらからあの、大黒様を、佐田さんところで頂いて、帰っておられた。それで、夫婦で、一生懸命、拝ませて頂いてね、ちょっと、大黒様を見たところがね、大黒様が、一杯汗かいてござったち言う。もう不思議なこっじゃある。どうした不思議なこっじゃろうかと言うてね。こりゃ本当にあの、親先生が、それこそ、汗かく様にして、俺達の事を祈って下さりよるとぞと。もう本当にもう、どうにも出来ない、一生懸命の祈りを、神様が聞いて下さると言う事は、やはり、大黒様が働いて下さっておるんだ。親先生の祈りが、このようにしてあってる。そう言わなければ思わなければおられない様な事じゃった。そしたら、そのあくる日。もう、それこそ、思いもかけない、夢のように五十万入ってきた。ですからね、私は、いうならば、神戸からでも、月参りでもしてくるという。そういう意欲がね、そういう例えば、難儀な事に直面しておられるから出来たんです。してみると、それは、難儀な事ではない事が分かって、夫婦の者が、神様の有難さ、信心の有難さが分かって、これから、段々、一つ一つ、おかげを受けて行かれる事になったら、どういう事になるですか。だから、皆さん、本当に難儀と思うておる事は、難儀じゃないです。だからそれを、すっきりとね、おかげと分からせて頂くために、理屈では分かっておるけれども、それが、心の中は、いわば、かっかつ燃えて来ると言う様な、腹が立つという様な事になってくる。結局、自我の滅却が出来てないからです。一つ、本気で、この焦点を、そういう、とても、ただ、心頭滅却すれば、火の中もまた涼しいと言った様なことは、大変、難しい事のようにあるけれども。火の中に飛び込むという事は難しいけれども。私共は、日々の中にです、これが、自分の心の中での、今、雪じゃろうか雨じゃろうかと思う様なこともあります。これがもう、燃えよるとじゃろうかと思う様に腹の立つ場合もあります。そういう時にね、滅却するだけの余裕のある信心をね、本気で一つ、頂いておかなければいけないと思うね。どうぞ。